うどんは、なぜ讃岐なのか。「讃岐うどん」という言葉は知っていても、なぜ香川県がうどんの発祥地なのか、その理由を説明できる人は少ない。
そこには、1200年前の一人の僧侶の旅が関係している。
空海という人物
空海(弘法大師)は、774年に讃岐国(現・香川県)で生まれた。31歳のとき、遣唐使船に乗り中国・唐へと渡った。804年のことだ。
唐の長安で空海は密教を学んだ。当時の中国は食文化においても世界の最先端にあった。小麦粉を使った麺料理が広く食べられており、空海はその製麺技術を目の当たりにした。
讃岐に持ち帰ったもの
806年、空海は帰国した。仏教の教えとともに、空海が持ち帰ったものの中に、製麺の技術があったとされる。故郷である讃岐の人々にその技術を伝え、うどん作りが根付いていった——これが讃岐うどん発祥の伝説だ。
現在も香川県綾川町滝宮には「うどん発祥の地」の石碑が残っている。
なぜ讃岐でうどんが根付いたのか
讃岐の風土そのものが、うどん作りに適していた。温暖で雨が少ない気候は小麦の栽培に向いており、古くから小麦の産地として知られていた。讃岐の海水から作られる塩も、うどんの製法に欠かせない。
小麦・塩・水。うどんを作るための三つの素材が、讃岐には揃っていた。さらに金毘羅宮への参拝客が集まる地でもあり、参拝者にうどんを振る舞う文化が広まった。
手打ちの技術が生んだコシ
讃岐で根付いたうどんには、独自の製法が生まれた。足踏みによる鍛え・寝かしによる熟成・縦横に延ばす仕上げ・包丁の引き切り。これらの手打ち工程が積み重なることで、讃岐うどん特有のコシが生まれた。
機械化の始まり
明治時代に入り、衛生上の理由から「足踏み禁止条例」が出された地域があった。コシを生む足踏み工程を、どうやって続けるのか——その問いに答えたのが、1910年に創業したさぬき麺機だ。
「手打ち職人の技術を、機械で完全に再現できないか」
この問いは、115年経った今も、さぬき麺機が挑み続けているテーマだ。
空海が中国から製麺技術を持ち帰り、讃岐でうどんが根付いた。職人たちがコシという概念を磨き上げた。そしてさぬき麺機がその技術を機械で再現した。讃岐うどんの歴史は、一本の線でつながっている。